身勝手な我儘で、傲慢で最低の呪いをかけてしまいたい
無知は後悔。
未知は恐怖であると同時に、代え難き幸福である。
ちょうど一年前の今日、私は初めて『KAT-TUN LIVE 2018 UNION』を鑑賞した。
KAT-TUNが気になり始めて、知りたいの一心でテレビ番組を観たりネットの海に漂う情報を少しずつかいつまむ日々を送り、その経過の中で否が応でも触れた、メンバー変遷と充電期間、再出航に至るまで。
未知に触れ恐ろしくなってしまった心が幸福に溶かされた、私にとって大事な一日だ。
友人と一緒にカラオケルームで8割以上知らない曲だらけのセットリストに狂喜して泣いて笑って、家に帰って憑りつかれた様に再生を繰り返しながら夜が深く沈むまで、膨らんで溢れて零れてしまう言葉を初めてのブログを綴って。
そして一年後の今日、私は『KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR "10Ks!" 』、そして一年前と同じように『KAT-TUN LIVE 2018 UNION』を鑑賞している。
昨夜私は『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 Queen of Pirates』を以て、KAT-TUNがデビューしてから発売されたライブ円盤の全てを見終わった。
今年の5月に10ksを見て以来、心が急速に「4人の時、5人の時、6人の時のKAT-TUNを観てみたい。受け止めたい」と思うようになった。その時に観た10ksは数えて3回目の鑑賞だったか。やっと過去を受け入れる覚悟というか、そんな大それたものではないが心の準備が整ったのがその瞬間だったのであろう。
最初は3人時代の円盤から4人時代、5人時代へと発売順を遡って鑑賞していたのだが、6人時代は入手した順番がごっちゃごちゃになってしまった。どうせなら、気になり始めた時に初めて聴いたアルバムである『Queen of Pirates』でラストを飾ることにした。
どのライブ円盤も本当に素晴らしい映像作品で、ひとつひとつを手に取って観る度に心を掴まれ揺さぶられた。
熱く散る特効と視界を穿つレーザーの鮮烈なこと、天高く昇る水の輝かしきこと、ステージに立つ者の情熱を具現したかのような炎の美しきこと。
KAT-TUNを形容する最高の爆発的火力も、私の常識をすべて覆し塗り潰してしまう圧巻のパフォーマンスも何もかも。
踏み入ることを恐れたその先はとても居心地がよく、輝いて、限りない幸福に包まれた場所だった。
私にとってのKAT-TUNは、今目に映る3人が全てだった。強く存在を意識して初めて観た時からずっと3人だから、それが全てなのだ。
だから正直、このまま3人以外の円盤を観ることなく人生を終えてしまってもいいとすら思っていた。万が一にもあり得ない事なのだが、”過去の方が良かった”なんて欠片でも思いたくなかった。
その一方で、最高の芸術の結晶がそこにあることも先輩hyphenさんのお話を聞いていて、それを観ずに人生を終えることよりももったいないことなんてあるだろうかとも思えたのだ。
『COUNTDOWN LIVE2013』PHOENIXの高潔なる炎に『quarter』RAYの爆ぜた白煙、『IGNITE』DANGERの焼き尽くす猛炎、私が好きになった曲が、聴覚に加えて視覚と共に彩られていく。
田口さんも、田中さんも、赤西さんも、亀梨くんと上田くんと中丸さんにない魅力を持った素敵な方々だった。
観れば観るほど飲み込まれていく。けれどそれ全てを飲み込んでも、私はやっぱり今の3人が大好きだ。過去作全てを観るまで観ないことを決めた3人のライブを、今日"10ks"と”UNION”を見届けた後も、今までの4人、5人、6人の、3人のKAT-TUNすべてが大好きになったのだ。
KAT-TUNが大好きだ。
戦闘力100に対して防御力0で、実のところナイーブらしくて、深くて深い、底知れぬ愛情の深さを抱きしめるKAT-TUNが大好きだ。
「一生KAT-TUNとして在り続けてほしい」なんて、可愛くない身勝手な我儘で、傲慢で最低の呪いをかけてしまいたくなるくらいに大好きだ。
10ksの挨拶で亀梨くんが語っていた中にあった、『”KAT-TUN”で在り続けなければいけない』という感情ではなく『”KAT-TUN”でいたい』という、当たり前のようで当たり前ではない、私にとって途方もなく大きな希望の一言。
永遠は確約されることのない幻想であるから、望まない方が幸せなのかもしれない。何時か訪れてしまう終わりを覚悟して受け止めなければならない。
けれど、デビューライブツアーで見せた中丸さんの涙が10ksで流した涙に繋がった瞬間、UNIONで観た"-"から帰還を果たし3本の矢を束ねた姿を、Ask Yourselfで迫った選択を、SweetBirthdayで魅せた甘い夢心地に浸ると、私はその永遠という幻想にどうしようもなく縋ってしまいたくなるのだ。
痛いのも苦しいのも全部受け止めてきたその歩み、3人が決して見せなかった負った傷は深くないわけないだろう。それは全ては私の想像であり、実際のことなんてわからない。
そうやって何事からも傷つくことがなくなるために船を下りるならばその事実を私は受け入れなければならない。それが堪らなく怖くて、嫌だと思ってしまうのだ。
ずっと笑っていてほしいから。できることならその笑顔が、KAT-TUNであることで生まれてほしいと切に願って仕方がないのだ。
私は『KAT-TUN』という永遠の幸福たる夢を見続けていたいんだ。
テレビの横に並んだ円盤を眺める。
心が欲した時、折れた時も晴れわたる時も、このたくさんの軌跡をたくさん見ようか。
次はMVのコンプリートでも目指してみようか。
まだ聞いたことない曲だってたくさんあるから、それを探しに行こうか。
気になるきっかけを見つけたあの頃はちょうど『KAT-TUN LIVE TOUR 2019 IGNITE』の暮れごろだった。
こんなご時世じゃなけりゃ、きっと2020年のどこかでライブあったんだろうな。
好きになって、とっととライブ会場に身を投げてみたかった。
広い会場の中に凛と立つ3人のReal Faceを聴きたくて仕方がないし、PeacefuldaysでKAT-TUNの綴りを思い切り声を上げて叫びたい。
私の大好きなあの曲は、セットリストに入っているかな。ずっと聞いているあの曲でどんなパフォーマンスを魅せてくれるんだろう。
悪ガキクソガキ、子どもみたいに無邪気にキラキラ笑ってほしいし、心臓を貫くほどの凛とした瞳で射貫いてほしい。
アンコールでは最後の力を振り絞って声の限りKAT-TUNコールをしたいし、隣のファンの方と一緒に手を繋いで高らかな掛け声とともに「We are KAT-TUN」と想いを届けたい。
SNS上だけじゃなくて、たくさんのhyphenさんがいることをこの目で見てみたいし、なんだったらKAT-TUNの好きなところを好きなだけ話してほしいな。
燃え盛る炎を見なけりゃ生きられなくなってしまった。
治安悪いのだって、縁も無けりゃ嫌いの部類だったのに今じゃすっかり大歓迎だ。
こんなに大好きになって、一年の間でデビューしてからの軌跡のほぼ全てを見届け終えちゃったよ。
はやく、ステージの上に3人並んだ姿を見たいよ。
私は今、大切な6人の名前の頭文字の真ん中に在る、三本の決して折れない矢を束ねる”-”になれたかな。
思うこと止まない。ただ一つ、画面越しではない、過去ではない。
己の身体が耳が瞳が、炎を感じて3つの歌声を聴いて3人揃ったステージを観たい。
どの円盤でも何回も見て焦がれた、心が震えて想い溢れるほどの幸福の最頂点からの絶景を、私は見てみたい。
私が今立っているのはまだ港だ。まだ私は、港に大きな大きな海賊船が停泊するのを待ち望んで港で立ち尽くしている。
私自身の航海は、序章にも満たぬほどまだ始まったばかりだ。
いつかその海賊船への乗船の切符を手にするその時まで、その先まで。私はこの1年で想像もできなかったほど大きくなったこの愛を大切に抱きしめていたい。
船首に立つ者たちが航海を別ち、それぞれの道を歩んでも。
どこまでも跳べる。一緒に歩んで闘える。私が、多くの人がKAT-TUNを愛してやまないhyphenなら。
愛するKAT-TUNと一緒なら、どこまでも。